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<初めは誰でも初心者!> 日本文は複数の文字種で構成されている!日本人であれば、幼いときから日本語としての漢字、ひらがな、カタカナ、ローマ字、数字、特殊記号を組み合わせて書くことを学んでいます。アルファベット、数字、特殊記号しかない英語の世界に比べれば文章としてのレイアウトを整えるのは格段に難しい世界に住んでいると言えます。 今さら、慣れ親しんできた自分の字を捨て去ることはできない! 小学校から中学校、高校、大学と毎日のように日本語としての文章を書き続けています。パソコンが日常化して文字を書かなくなってきていると言ったところで、パソコンとプリンタをどこにでも持ち運ぶことはできません。重いし、電源が必要だし、ソフトが立ち上がって使えるようになるまでに時間がかかります。いつでもどこでもという「ユビキタス社会」の到来が間近だというのに、この状況は少しも変わりそうにありません。やれやれ。 |
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<要するにレイアウトの問題か?> 活字が整って見えるのは、決められた枠の中にぴったりと納まった字で構成されており、上下左右が整列しているからです。当然といえば当然のことです。ということは、このレイアウト問題を解決すれば、問題の半分とまではいかなくとも1/3くらいは解決するのではないでしょうか?言うは易し、行うは難しではありますが。 レイアウトと言ったって! ワープロの文書レイアウトを見ると整然としています。それは以下の理由によります。 1.上下左右の余白をとっている。 2.左右の書き始め、書き終わりを揃えている。 (ただし、プロポーショナルフォントを使うと整列しない) 3.フォントは活字に相当するものなので粒が揃っている。 4.文字の中心が揃っている。 5.文字の濃度が一定している。 大体、このくらいでしょうか。これを見ると筆記体ではありえないものが含まれていることが分かります。(手書きに同じ形の文字はありません。どこか微妙に違っています。) まず、1の条件を考えてみましょう。 ※余白の枠をとるのは問題ないばかりか必要な作業です。余白をどれだけとるかはセンスの問題です。 2の条件はどうでしょうか? ※筆記体においては書き初めを揃えるのは常識ですが、書き終りは必ずしも揃えなくてもよいことになっています。もちろん、高度な技術を使って揃えることはできますが、一般的には揃えていません。 これには別の理由もあります。祝辞や賞状、親書などでの慣習ですが、人の名前や団体の名前を切ってはいけないとか、相手方を下に持ってきてはいけないとか、「てにをは」を行頭に持ってこないなどの禁則があるのです。 では、どうすればよいのでしょうか?筆記体の書き方に従った方がよいと思います。人は機械ではないのですから同じ字を二度と書けません。ですから、行頭を揃え、行末はできるだけ揃えるようにすればよいのです。 3の条件はどうでしょうか? ※字の粒を揃えるのは実は大きな問題があるのです。漢字、ひらがな、カナ、数字、特殊記号などを同じ大きさで書いたら非常にアンバランスに見えます。それぞれに適切な大きさというものがあるのです。ここでは漢字は他のものより大きく書きましょうということにしておきましょう。もちろん漢字の大きさが大小バラバラになってしまってはいけません。何ごとにも節度というものがあります。 4の条件はどうでしょうか? ※文字の中心は揃えた方がいいと思います。ただ、3つの揃え方があります。文字のトップの高さを揃える「上揃え」、文字の中心で揃える「中央揃え」、文字の下辺で揃える「下揃え」です。中央揃え、下揃えが一般的です。 5の条件はどうでしょうか? ※文字の濃度は筆記具にもよりますが、筆は濃淡が出るのが味わいなので一定の濃度で印刷された筆字には無味乾燥な感じがするのだと思います。 ボールペンは一定の濃度で書けると思います。書けないときは内蔵インクを交換してください。インク切れです。 鉛筆は濃淡が出るのが普通です。濃い字が書きたければBの系列の鉛筆を薄い字が書きたければF系列の鉛筆を使い分けましょう。HBで全てを間に合わそうとしてはいけません。書き分けようとすればするほど、下手になっていきます。 筆ペンは内蔵インクの調整が大変なときもありますが、管理が簡単なのでよく使われています。この場合は濃淡と言うより、太い細いの表現がつけやすいと考えておきましょう。濃淡を言うなら墨に筆が一番です。 このようにレイアウト問題を考えると、何を適用すればよいのかがはっきりします。 |
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<速習の問題 !!> この連休に大学に行っている子供たちが帰ってきて賑やかな日々が続きました。数日しか滞在しない息子が真顔でこう言うのです。 「お父さん、そろそろ大人の字を書きたいと思うんだけれど、どうしたらいい?」 「要するにレイアウトを考えればいいんだよ。それぞれの字はそんなにうまくなくても全体的に配置が上手くいっていればきれいに見えるものなんだ。それに全部の字がうまくなるには時間がかかるんだ。だから、主要な字を先に矯正すれば上手くなったように見えるんだよ。人間の脳機能の不思議だ」。 「へぇ、それって1週間ぐらいでできる?」 彼は幼いときからこんな調子で、とんでもない超効率の学習法をいつも要求していた。ここはぐっとこらえて、 「無理だよ。3ヶ月プログラムを忠実に実行するしかない。理論方式と形態模写方式があるけれど、どっちがいい?」 「理論方式って、どんな方法?」 小林龍峰著の「実用ペン字教本」を開いて見せて、 「こんなふうに、文字の書き方を角度で捉える方法だよ。この人が一番極端だけど」。 「ふ~ん。この方が僕に合いそうだ。その本を貸してよ。」 「楷書だけでいいのか?行書は出来なくてもいいんだろう?」 「当たり前だよ。行書なんて使わないよ」。 こんなやり取りが合って、彼のために速習教材と練習ノートを用意してやりました。さて、3ヵ月後にはどうなっていることやら。彼は6日の午前5時にジャンボフェリーで姉と一緒に帰っていきました。アパートに帰ったらローリングストンーズのDVDを見るとか言っていましたが、もう見たのでしょうか? |
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<空間分布率?> さて、肝心のレイアウトする文章の「構造」はどうなっているのでしょうか?最初の行に戻ってみると「日本文は複数の文字種で構成されている」とあります。これは非常に重要なことを意味しています。構成する文字に種類があるのですから、書写するときにもそれぞれ慣用的な「約束事」があるのではないでしょうか? 書写の実用書をひも解いてみると、漢字、ひらがな、カタカナ、ローマ字、数字、特殊記号には「適切な大きさ」があるとされています。もちろんそれぞれに配分を振り割ってあるものもあれば、大体このくらいで、と書いたものもあります。 小林龍峰他の諸氏によればそれぞれの配分は以下のとおり。 漢字:10、ひらがな:8、カナ・ローマ字・数字:7~6、特殊記号:6 これは単独の文字種の配分を示しています。ではレイアウト全体ではどうなっているのでしょうか?実は日本文というのは、1枚の用紙における文字種の配分量がほぼ決まっているのです。 漢字30%、ひらがな60%、その他10%(理想値) 漢字が多くなれば読みにくく難解に見えます。ひらがなが多くなりすぎるとかえって読みにくく幼稚に見えます。ローマ字や特殊記号が増えてくると日本文には見えなくなります。また、文章の長さが60文字を超えたあたりから難易度が増して行きます。普通の人間の一度に捉える文字数がこの程度だからです。もっとも、速読練習をするともっと増えるようですが………。 このことから何がわかるでしょうか? できるだけ多くの相手の理解を得ようと思えば、漢字の比率を下げ、ひらがなの比率を上げる方がよいし、逆に難度の高い文章を作るときには漢字の比率を上げ、ひらがなの比率を下げればいいことがわかります。 しかし、これは文章を作る人の話であって、文字を書写する人の話ではありません。問題の核心はこうです。 ひらがなが「きれい」になれば(紙面における面積が大きいので)グンと技術がアップしたように見える。 そう、ひらがなの上達そのものが字の上達の「鍵」となるのです。 |
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<観る目を養う> 自分の作品をレベルアップさせるためには、他人の作品を「観る」ことが必要です。自分の作品にとらわれていると書の向上は見込めません。自分にないもの、より優れたものを観て、感性と頭(知性)で理解するのです。こういうと難しいことをするようですか、実際はたくさんの作品を観るだけの作業です。ただ、漫然と見てはいけません。義務ではないのですから。楽しんでいきましょう。 近くの美術館や図書館、博物館に行ってみましょう。時には○○展開催中とかいうチャンスにめぐり合うことが出来るかもしれません。そうでなくても、美術館や博物館には常設展が、図書館には美術書が揃っています。面倒くさいと思わず、足を使ってみましょう。こうした努力が、あるいは楽しみが「掘り出し物」を見つけるきっかけとなるのです。人生は多くの出会いです。これは人に限らず、ものでも同じです。 |
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