素敵な技術世界
素敵な技術の世界 印鑑1
           
筆跡改造の世界へ
文章力は?
写真と同じ?
材質・質感?
すごい参考書
資格取得は簡単?
書道師範へ!
PCの見本
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 筆耕に文章力はいらないのでしょうか?

 親しい人への手紙はともかく、挨拶状にしろ、祝辞、謝辞、祝詞にしても日本語のうちでも最も「格式ばった表現」が必要になります。気持ちさえ伝われば文章なんて関係ないという人もいますが、その場にあった表現が確実に必要とされているのが現実です。それでは、筆耕の皆さんはどうしているのでしょうか?皆さん文章の達人なのでしょうか?そんなことはちょっと考えられません!本当に筆耕の皆さんどうしているんでしょうか?

 実は昔も今も先人の書いたものを参考にしているのだと思います。日本の文人、書家、代書屋さんたちの遺産です。昔でいえば「アンチョコ=虎の巻」、今で言えば「マニュアル=解答つきの参考書」を使っているのです。

 最近は非常に多方面に渡ってのマニュアルが作られているのでたいていのことはそれで間に合います。だから本を買うのをケチってはいけません。絶版書はオークションやネットの古本屋で探してみましょう。

 当たり前のことですが、常に文章を書かなければならない人は誰でも1冊や2冊は文案マニュアルを持っているものです。要はそれを上手く活用したり、応用できるかどうかにかかっています。そのために訓練するわけですが、その達成度を確認しておかなければ心穏やかではありません。毎回、これでいいんだろうか?と不安でたまりませんよね。

 試験慣れしている人なら文書のレベルを認定する「検定試験」に挑戦するでしょう。そんな検定があるかって?もちろんあります。秘書検定から独立した検定となった「ビジネス文書検定」です。なお、「親書検定」はありません。
 
 現場主義の人なら、しっかり話を聞いて表現を工夫してクライアントの要望を叶えようとする「役立つ経験」を積んでいくでしょう。 それには、まず仕事の依頼がなければどうしようもありませんが。

 クライアントが満足し、自分の技能も向上するならばどちらの方法でも問題ないと思います。ちなみに私は不精者なので前者の方法を選びました。「終わりよければ全てよし」です。

 昔から言われているように本はたくさん読んだ方が表現力も上がり、とっさのときに応用が利きます。「積読」じゃなく、「精読」をお勧めします。ただ、読む本の分野は限定しなくてもいいのではないかと思います。中には辞書を読むのが大好きという人がいますが、私はその人の心が判りません。
 
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 写真と実物は同じでしょうか? ?

 「写真ではいいと思ったんだが、実物を見て興ざめした」という人もいれば、「写真ではピンとこなかったが、実物を見て感激した」という人もいます。人さまざまですが、いくつか参考になることを書いておきたいと思います。

 まず、写真と実物の違いを考えて見ましょう。そうすると見えてくるものがあります。

1.サイズの違い:実物が大きい場合、あるいは小さい場合には実物と写真の差が出てきます。なぜなら大きいものを小さく見せると「勢い」が削がれます。風景がいい例でいくら大画面で見ても「実際の風景」との臨場感は異なります。また、小さなものを大きくすると「精密感」が削がれます。

2.見た目の違い:墨で書いたものを見ると、墨の厚みや匂い(香木入りのものもある)が、色紙や条幅であれば「たわみ」や「布置」が肌で感じられます。写真ではどうしても「現実感」、「触感」が消失してしまいます。

3.置き場所の違い:写真は実際に指定場所に置いてみて全体の様子を見るということは出来ません。ですから、大型テレビを買う時のように量販店の売り場では小さく見えたものが、自分の部屋に置いてみると、とんでもなく大きかったというような「勘違い」が起こるわけです。

 ということは、実物を見るのが一番ということになります。当たり前ですね。でも、以上のことを頭に入れてから写真を見るのであれば補正が利いていますので、それほどイメージが異ならないのではないかと思います。

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 材質・質感の問題は考えなくてもいいのか?

 筆耕の依頼では、紙に書くものが多いのですが、たまには木材とか布とか石に書くように依頼されることがあります。

 紙に書く場合でも、半紙に書く場合、奉書紙に書く場合、色紙に書く場合、料紙に書く場合とそれぞれ異なります。それに伴なって筆記具も代わります。(墨のノリが違うのが原因です)。

 まず、大きな紙に書く場合場合を考えてみましょう。筆記具は太筆を使用します。筆に含ませる墨の量が違うからです。奉書紙や色紙の書く場合は細筆か中筆を使用します。細密なものを書くときは極細(面相筆のようなもの)の筆を用います。
 
 書のタッチという観点から言えば筆にも羊毛筆(やわらかいタッチの出るように羊毛で練り上げたもの)と兼毛筆(鋭いタッチの出るようにイタチやテンの毛を練りこんだもの)があるのですから、これも選ぶ必要があります。用具が揃っていなければ購入するしかありません。

 あれやこれやを取捨選択して作品を書き上げます。太筆の技術と細筆の技術はそれぞれ別のものものですが、出来上がれば「書の作品=依頼品」ということで同じに見えます。たとえば、賞状を書いたことのない人に賞状を依頼すると、たいてい断ってきます。するとクライアントは不思議に思うわけです。「あんなに上手なのになぜ書いてくれないんだろう?嫌われているのかな?」などと。

 これは、書の技術というものは何でも「全て同じ」と考えている人が陥りがちな誤解です。書にはいろいろな技術が存在し、全てを身に付けている人はいないのです。これは本当の話です。六書といわれる書体から始まって、賞状の書き方、散らし書き、色紙の書き方など技術的なものは非常に多方面にわたっているからです。
 
 筆以外に「墨」の問題もあります。クライアントの中には「香木の入った墨で書くようにしてほしい」という方も少なくありません。粗悪な墨はひどい臭いがしますが、香木の入った墨は「いい香り」がします。品のよい物を求めている人には最適です。あたりまえですが、この墨は通常のものより高価です。練り墨がいいという人もいれば、磨った墨でなければという人もいます。それぞれの好みというものがあるわけです。

 では、紙以外のものに書く場合は何か特別のことがあるのでしょうか?まず、墨が違います。紙と同じ墨を使っていてはまったく墨がノラないということがあるのです。たとえば、材木に書いてみましょう。生地そのままで書くと墨をはじいて字になりません。書く前に「準備作業」がいるわけです。木材の面を削り、細かいヤスリをかけます。つまり、紙の面に近づけるわけです。こうして書いてみると墨が薄かったり、ノリが悪かったりします。こんな時は「材木専用の墨」というものを使ってみるのです。それで上手くいけば幸いです。それでも上手くいかなければ、墨にいろいろな工夫をする必要があります。健闘を祈ります!

 布に書く場合は、木材の時の墨では上手くいきません。ハチマキや胸リボンなどに書く場合です。よくいわれるのは、書く面に石鹸を塗っておけば上手く書けるというものです。しかし、それでは墨の発色が悪いので「ポスター・カラー」の黒を混ぜて書くことが行われています。

 石に書く場合は、濃墨をたっぷりつけて書けばいいと言われていますが、実際どうなんでしょうか?石の面を削ってくれていれば、スムーズに書けますが、そうでなければ凸凹の面に墨をのせることになります。墨が流れることを考えると簡単に書けるものではありません。それに外に置くことを前提にされると墨が消えないような処理(膠を混ぜる)をするか、墨自体を考慮しなければなりません。「いっそ削ればいいのに」と思うときがあります。そうすれば、後は墨を流し込むだけで済みます。墨でなくて、金泥でもいいんですが。

 考えれば考えるほど、考慮しなければならないことが増えてきて夜も眠れなくなります!
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 すごい参考書を求めて

 硬筆であれ、毛筆であれ、よい先生につくか、良質の参考書を手に入れることが上達の必須条件です。偶然であれ、必然であれ、めぐり合うことが大事ということです。人生を感じますね!

 あくまでも人に習うのは嫌いだから、自己流でという人は、よほどの天才(書の血筋がよい)か、全く自分を知らない人です。自己満足でも、他人を巻き込まなければ人がとやかく言う問題ではありません。人に教えたり、筆耕の注文をとらない限りにおいてですが。その場合は、苦情とトラブルの発生が避けられません。

 私が最初にめぐり合った書道の先生にはあまり親近感がもてませんでした。そもそも話をすることがなかったので、親しくなりようがなかったのです。しかも、その頃の私はナイーブだったので陰で褒めてくれなければすぐ否定するのが常だったのです。そう、嫌なやつだったのです。もうお亡くなりになったけれど、M先生ごめんなさい。

 クロニクルでも書いたように、誰も信じていなかったので、誰も教えてくれないまま年月だけが経っていきました。頭の固い私も、これではどうしようもないと思うようになりました。誰か信頼できる書家はいないのかと書店を巡ってみたのですが、現代の書家といわれる人の字はほとんどが草書体や連綿で書かれており参考になりませんでした。私はどちらかというと「芸術書道」よりは「実用書道」といわれる分野に関心を持っていたからです。

 そこで、最初にたどり着いたのが、現在師範資格を授かっているところの「日本書道協会」の通信教育教材でした。これは良くできていました。ただ最初の教材はほとんど練習しませんでした。「本科」の場合は、いわゆる積読だったのです。ほんとに良くできているので、私のように不真面目でない人はこれから入るとよいでしょう。もちろん毛筆の場合ですよ。硬筆は別の参考書が必要です。お間違えのないように。

本科教材 高等科教材 師範科教材


 実は、私が取り組んだのは高等科からで、これはちゃんと添削課題を出して修了しました。師範科はもっともまじめに取り組みました。そうしないと師範免状が夢の夢になってしまいますから。これもちゃんと修了しました。
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 資格取得なんて簡単とは言うものの

 ただし、講座を修了するだけで「師範免状」が自動的に手に入るかというと、世の中そんなに甘くありません。これとは別に級・段位試験及び師範試験(教室開設資格)があるのです。これをクリアしないと師範免状は遠い夢です。
 
 ここで、問題です。仮に早々と「師範試験」に受かったとしましょう。師範試験は昇級・昇段試験とは別枠の試験なので、ある程度実力があれば受かります。では何が問題なのでしょう。

 それは、こういうことです。めでたく「師範」になり教室を開いたとします。受講生は自分の習っている先生の本当の実力?(看板の威光)が知りたくてうずうずしているのであからさまに質問します。
 「先生は何段ですか?展覧会で何か賞を取っていますか?」
 生徒はこんなにすごい先生のところで習っているんだと自慢したいのです。

 もし、ここで「いやぁ、この協会では6級だよ。小さいころは○○会で二段まで取ってたけどね。段位なんて関係ないよ。要は実力、実力だよ」と能天気に答えてしまいますと、次の日から一人も生徒が来なくなってしまいます。
「今、習っている先生は6級しか取っていないんだって!私より下じゃないの!自慢じゃないけど、私は初段を取っているのよ」。

 どのような世界にも「世間体」というものがあるのです。指導者はそれを大事にしなければなりません。

 ですから、師範になる前に大人のクラスの段位で4段以上は取っておきましょう。自分の級・段位を隠しておくという手もありますが、お勧めできません。ばれたときが大変ですから。
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 書道師範への遠い道のり

 『マンガ書道にかかわる仕事』(ほるぷ出版)によれば、書道師範になるには次の方法があるそうです。話は小学校の書道教育から始まっていますが、やはり社会人になってからというのが常識的な線でしょう。社会人から書道師範の道へ向かうには2つの選択があります。

 1つの方法は団体または個人による書道教室に通うことです。直接教室に通うか、時間を自由に選択できる通信教育にするか迷うところです。TVでは通信教育が一番いいように宣伝されていますが、一般的に言うと、直接教室に通う方が長続きするようです。もちろん先生と「合う」、「合わない」という問題があります。どこの世界でも人間関係は難しいですね。

 ここでまた選択があります。公的検定(日本書写技能検定協会の硬筆・毛筆書写検定)を受験するか?それとも先生について研鑽を重ね、主催グループの級・検定を受験するかです。前者は日本全国共通の検定なので、誰にでも書の「実力レベル」がはっきり判ります。後者は通常修業(助手)と言われています。毎日、先生の字に似せた字を練習し、それに一工夫加えたものを創作する根気の要る修練です。最後に各教室の「指定課題」に合格して書道師範になります。ここからはいわゆる「先生」です。

 教室によっては自分の所属する協会の段位だけでなく「公的検定」を受験することを勧めているところもあります。良心的ですね。書道の実力は、主催協会ごとに違うし、日展や二科展などの芸術書道を追及しているところもあります。日常的にきれいな字を書きたいと思っている人にとっては「芸術書道」はあまり縁がない世界でしょう。
 「実用書道」と呼ばれる日常の「冠婚葬祭」で使われる書が一般的に重宝されます。

 公的検定の場合の最高位は1級なので、公的試験で師範を目指す人はここまでこなくてはなりません。一方、民間の書道教室・書道団体はそこまで要求しません。なぜなら、民間団体の師範をしている人が1級のレベルに達している必要性がないからです。民間の書道協会には師範の合格レベルというものがあるのです。私も、公的検定1級が合格する前に民間の書道団体「日本書道協会」連鎖教室の師範免状を取得しました。段位は3段くらいの時でした。

 専門学校で秘書課の書写を担当していたとき、まだ1級を取得していない時の話です。自分で書道教室に通っている秘書科の○○さんが1級を受験するというので、一緒に練習しようと課題を用意していました。持ち帰って、1週間ぐらいして、急に「私、1級は受けません」と言うのです。「どうして気が変わったの?」と聞くと、「だって、私の習っている書道の先生が持っていないんですもの」と言いました。
 「その先生も受ければ受かるんじゃないの?」と再び問うと、「何度も受けて受からなくて、絶対に受からないと言うんだもの。先生が受からないのに、生徒の私が受かるはずがないわ」と言いました。ごもっとも。

 ともかく、このようにして「書道師範」が誕生します。私もそうです。
     <コンピュータの見本は役立つか?>

 「コンピュータ書道」に慣れてくると、自分で書かずにコンピュータで何もかも書くようになります。見栄えが良いからです。もちろん、正確な位置決めがいる時には大型スキャナーと「位置合わせソフト」を買っておけばいいわけです。長い用紙や大きい用紙をそのまま曲げず、折らずで使いたければA1まで使える「フロントインサータ・プリンタ」を買えばよいでしょう。学校や公共施設ならば、「CAD」や「写真印刷用」に購入しているところもあるでしょう。気に入ったフォントも「モリサワ」とか「リコー」などで販売しているものがあるのでそれを購入すれば、対応レベル(見栄え)が上がります。

 このように見てきますと、お金に余裕があればたいていの書き物に対応できます。ただ、現実的でないのと、毎回同じものしかできないだけです。このように莫大な投資をして回収の目処が立つかどうか常識を働かせてみればわかると思います。まず、資本投下しただけの回収は見込めません。

 数年前に、こんな話がありました。夕方近くに家に電話がかかって来て、2日ぐらいで500枚ぐらいの年賀はがきの表書きを書けますか?というのです。1時間で20枚とすれば25時間です。やり方と時間配分を工夫すれば、ギリギリ間に合いそうな枚数です。ただし、顧客の要望はほとんど無視の規格内であった場合ですが。

 こんなに追い詰められた事情を聴いてみると、いつもはパソコンで年賀状を作って打ち出しているとのこと。それが、本日打ち出そうと思ったら、レーザープリンターが故障しているのかハガキを吸い込んでくれなくなったらしいのです。手書き用のリストを揃えて打ち出して届けてもらう段取りをして、再度連絡しますとのことでした。夜半まで電話を待っていたのですが、なかなかかかってきません。もうこれは明日のことにしかならないと思って風呂に入っていたところに電話が鳴りました。

 結局どうなったかというと、何度もやっているうちにレーザープリンターが直って印刷できるようになったのだということでした。まあ、それならもっと早く連絡してくれればよかったのにと思いましたが、そこは営業。「よかったですね。次回に何かありましたらご相談に乗りますよ」といって電話を切りました。やれやれです。

 この話は別に顧客へ苦情を言うために書いているわけではありません。コンピュータはデータさえしっかりしていれば高速で処理してくれます。(機械の故障はご愛嬌ですが)。つまり、「急ぎに間に合う」ということです。これは大きな利点です。「納期」こそが全てですから。

 私は注文を受けた場合、最初にイメージパターンをパソコンのソフトで作ります。「ワード」の場合もあるし、「イラストレータ」の場合もあります。それで文字位置とか1行の文字数とかを割り出します。(賞状はまた別です。)そうして、あとは決めた位置に決めた大きさの文字を書いて行けばだいたい完成します。芸術的なものを除いてほとんどこのやり方です。

 パソコンで作った見本はPDFにします。メールに添付して、顧客の確認をとります。それでOKであれば、そのまま仕上げに入ります。ですから、私にとってはコンピュータが作ってくれた「見本」はすごく役に立っているのです。出来上がった作品は、見本とはかなり違いますが、それは仕方がありません。活字を書くわけではないのですから。あくまでも筆記体です。

 問題はパソコンを使えない方はどうするかになると思います。基本的には、「鉛筆書きの見本」を作ってみるしかありません。いきなり書いていくと、失敗する確率がどんどん高まります。面倒でも「下書き」を作りましょう。パソコンを使えるように勉強するというもの楽しいかもしれません。健闘を祈ります。
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